サイバーエージェント大前宏輔さんの学生時代から現在をインタビュー

20分

本記事においては当サイトから取材を依頼した上で、広告費・取材費等をいただき記事を掲載しています。

DSC03413

人物紹介 大前 宏輔
2012年、京都大学教育学部を卒業、サイバーエージェントに入社。インターネット広告事業本部、大阪支社にアカウントプランナーに従事。2013年1月、チーフアカウントプランナーに昇格。4月、サイバーエージェント全社総会にて新人賞を受賞。5月、入社1年でマネージャーに昇格。9月、株式会社CA Drive設立と共に、代表取締役に就任。2014年に同社解散、インターネット広告事業本部にて営業マネージャーに従事。事業部MVPを多数受賞。2016年、次世代ブランド戦略室の設立と共に、シニアマネージャーに昇格。現在に至る。

会社紹介 : 株式会社サイバーエージェント

1998年の創業以来、インターネットに特化した広告事業を展開し、業界最大手企業として事業拡大を続けています。インターネット広告の売上高および、スマートフォン広告のシェアは国内ナンバーワンです。
現在は、インターネット広告事業、インターネットテレビ局「AbemaTV」をはじめとするメディア事業、ゲーム事業、投資育成事業の事業を展開し、インターネット総合サービス企業として、企業・インターネットユーザーの皆さまに対し有益なサービスを提供。

▼サイバーエージェント インターネット広告に関する最新事例や手法を紹介する情報サイト

「CyberAgent AD.AGENCY」
http://www.cyberagent-adagency.com/

 

学生時代はどんなことをされていましたか?

DSC03405

サークルとバイトに打ち込んでいました。また、趣味でDJや、学生のファッションショーイベントで服を作るなどしていました。

当時のDJ活動では、毎週末、クラブでレギュラーDJをしたり自分たちでイベント主催をするなど、かなり本格的に活動をしていました。社会人になった今でも休日に活動しています。

DJの経験が現在も役に立っていますか?

DJの経験の中には、プロジェクトマネジメント的な要素も含まれていて、それは現在に役立っていると思います。具体的には、自分たちのイメージした空間を作り実現させることや、1つのイベントを立ち上げ、進行し、成功させていくことなどが、自然と身についていました。

また、活動を通じての様々な活動が広告業界に興味持つきっかけにもなったので、そう言った意味でも現在と直結はしているのかなと感じます。

 

サイバーエージェントへ入社したきっかけを教えてください

DSC03440

大きなきっかけとしては、ファッションショーを共同で行っていた先輩が、サイバーエージェントのインターンシップを受けていて、その先輩の話を聞いているうちに、広告業界やサイバーエージェントに興味を持つようになったことです。就活を意識し、やっと目にした広告業界でしたが、頭使いつつクリエイティブな要素も入る仕事は面白いなと思ったのも決め手の1つです。本来、邪魔だと思われがちな広告というものを、業界トップの方々が一生懸命頭を使って、人の目に触れる形にしていくといった世界観にとても魅力を感じました。さらに、広告業界の中でも、チャレンジャーでい続けられる環境の方が自分の好きなことを極められると思ったので、まだまだ自ら変えていけるような環境で好きなことをやりたいと思いサイバーエージェントで広告業をやると決めて入社しました。

 

入社1年目の働き方について

DSC03435

入社1年後に、新人賞を頂きました。しかし、入社して間もないころは、業界誌を読み広告業界をマスターした気持ちでいました。なので、最初は自分の考えのみを貫いていたため、思った以上に成果が出ませんでした。

これではダメだと思い、まず自分のやりたい仕事をするために会社から求められていることを以上のことをやってやろうという気持ちに切り替えました。

分かりやすく会社から評価されるような仕事をしようという軸で取り組み始めました。営業職に進むかプランナー職に進むか、東京で働くか大阪で働くかという大きな選択もその軸をもとに、結果「大阪で営業をして分かりやすく自分の力で成果を出す」という決断をしました。

そこから、営業目標という一番わかりやすいところを徹底して達成し続けることを意識しました。

その目標を実際に貫くことができた、というのが1年目でした。頭を使って云々というよりは、とにかく成果をだす。という定量的な部分にこだわり続けていたと思います。

成果を出し続けるためのコツは?

僕の場合、広告業界ですごくなりたいという目標が明確にあり、サイバーエージェントの中で偉くなりたいという思いはあまりありませんでした。なので、1年目の時からずっと営業日報に国際広告賞のカンヌライオンズという国際クリエイティビティ・フェスティバルでドヤ顔しますという内容を書き続けていました。

自分がしたい仕事や目指すスタイルが明確でありながらも、それをやるために今やらなければならない仕事を1年間折れずに持ち続けられたのは、目先の目標だけではないある程度長期的な目線が常にあったからだと思います。

具体的には、1年目は何もできないのでとにかく先輩を巻き込んで協力してもらうことは意図的にやっていました。たとえば、営業職の1年目で陥りがちなのが、何を提案したらいいかわからない、どうやって提案したらいいかわからないといった問題です。そういう時は、1度手本を見せてくださいと上司にお願いし、顧客への提案の仕方を学びました。そこからは見よう見まねで行い、徹底してこれを繰り返していました。

新人賞を受賞された大きな要因は、まとめると長期的な目標を持たれていたということ、先輩のいいところを盗む、まわりにライバルとなる人がいたという要因が大きいですか?

そうですね。目標という観点からもそうですが、どちらかというと、やりたいことやこういう働き方がしたいというビジョンが明確にあったので、そのための環境を手に入れたいという強い思いがあったのだと思います。

1年目の1週間の働き方はどんなペースでしたか?

月曜日から水曜日は、大阪で、わりと遅くまで資料や提案の準備を整え、木曜日と金曜日は東京のお客様がいらしたので1人で東京出張へ行っていました。木曜日にお客様のところへ行き、持ち帰ってきた宿題をその日の夜までやって金曜日は疲れ果てて大阪に帰るといった働き方でした。休日はDJをしたりキャンプへ行くなど好きなことやっていました。

 

子会社の代表当時の様子について

DSC03426

サイバーエージェントの若手抜粋文化により、子会社の代表を任されることになりました。大阪から突然東京へ異動が決まり、エンジニアだらけの180度変わった環境は、正直辛い期間でした。肉体的には営業職の方がきつかったのですが、先ほどお伝えした通り、僕は経営者になりたいや偉くなりたいというモチベーションというより、広告業界ですごいことをしたいというモチベーションが高かったので、急な経営者という立場に戸惑いはありました。しかし、会社から期待をかけてもらっていることには必ずyesと言おうと思っていたので、快諾させて頂きました。

代表を務めた会社の事業内容は、アドテク関連の事業です。メンバーは基本的に30代以上の全員エンジニアの方で、唯一営業職寄りだった方は僕が新卒で入社する前に面接をしてくれた30歳後半のベテランの方だけでした。年上のマネジメントにもあまり馴染みがない中、HTMLといった技術用語さえもほとんどわからない状態で技術者の方々のマネジメントを行わなければならず、大変苦労しました。結果、事業自体上手くいかず、キャッシュが切れるタイミングで会社としては継続し他の事業にピボットするのか、もしくはもう会社を解散するのかという決断に迫られることになりました。評価は落ちてしまうかもと思いながらも、一旦解散し、やはり元々やりたかった広告事業に専念させて頂きたいという旨を伝え、会社としては半年ほどで解散しました。

子会社解散の大きな要因は?

私自身が方針を決めきるだけの自信がなかったというのが大きな要因だったと考えています。経営者は、ひとつのメッセージで全員を鼓舞しなければなりませんので、その部分が欠けていたかなと思います。

自分に対しても、この事業は上手くいくという確信がずっと持てずにいたというのも大きかったと思っています。その部分においては就活生に指導する際にも明確に失敗体験として言っているのですが、最も自分が反省するべき点だと思っています。メンバーに対しても抜擢いただいた役員の方にも申し訳なかったなと思っています。そういった働き方を2度としてはいけないと思います。

解散後も少しモヤモヤした気持ちはあり、一度は転職を考えたこともあって、役員や局長に相談したりもしました。その時、「自分達が作り上げたい組織やサイバーエージェントをこういう会社にしたい。そこに君が必要でこういう働き方をしてほしい。」ということを具体的に示してくれました。様々な対話を重ねていくうちに、僕がした失敗は大した失敗じゃないなと思えたのと、今まではこういう働き方をしたいという自分の中の強いモチベーションだけだったのが、この人たちのためにも頑張りたい組織に対して還元しないとという意識が芽生えました。そこから働き方が変わりました。

 

普段の仕事において心がけていること3つ

DSC03430

1つ目は、メディアやインターネットがこの先どうなっていくのかを常に考える、ということを意識しています。それは半年間の子会社での経験で、技術の部分に触れたからというのと、やはりテクノロジーが変われば提供するメディアの形などもが変わっていくからです。今でいうと分散型メディアといったものができていたり、GoogleやFacebookもどれだけ早くページを表示させるかという技術革新が進んでいたりします。そういった事例をいち早く知ることが、自分自身が顧客に対して提供出来るサービスの差別化になり得たりします。そういった意味で、インターネット広告について知ることはもちろん、インターネットのことを知るということも意識しています。広告に関係しない部分でも、分かりやすく言うとIOT、VRやAIなどもそうですが、出てき始めた時くらいから知っておかないと、それが広告メニューになってからキャッチアップするとワンテンポもツーテンポも遅くなります。なのでインターネットのことをよく勉強することは意識しています。

2つ目は、常に逆張りをするということを意識しています。例えばインターネット広告の世界では、ダイレクトレスポンス型といった旅行やECなどオンラインで完結するビジネスの広告主が活用するケースが多いです。いわゆるwebでどのようにしてコンバージョンを取っていくかなど、そこでパフォーマンスを出す広告がインターネット広告だという世界観でした。しかし最近は、ブランディング広告にもインターネットは使えるという世界観も出てきました。

3つ目は、ストレートに話すということを意識しています。回りくどく遠回しにお願いするのではなく、顧客に対してもメディアに対しても自分がどうしたいと思っているか、そうすると顧客に対してこういうメリットがあるということは基本的にストレートにお伝えするようにしています。自分をきちんと全て見せるところから始めています。僕自身が性格的にはっきり本心を言うということを意図的にしないと、なんだか少し怪しく見えちゃう性格ではあるので、しっかりと言葉にするということは意識しています。

 

現在行われている事業内容について

DSC03451

次世代ブランド戦略室ができた背景から

テレビ、新聞、雑誌などのマス媒体を用いて認知や購買意欲を上げていた広告主も、近年どんどんデジタルやインターネットへの対応の必要性を迫られています。このような広告主のニーズに応えるために、インターネットマーケティングを基軸に、戦略立案から企画、メディアプランニング、クリエイティブ、広告運用、また新しい商品の開発も含めて、ワンストップでブランド広告主のインターネットマーケティングを支援する専門組織「次世代ブランド戦略室」を、今年の5月に新設しました。

現在は、営業として広告主であるお客様の元にお伺いをして、提案活動や日々の運用レビュー活動のようなことを行っています。

もう一方で、広告商品や新しいテクノロジーの開発、インターネット広告だからこそできる広告効果の測定と可視化などといった提案も行なっています。さらに、ビジネスのことを考えた時に、広告はこうあるべきだとか、論理展開を作る、KPIを作っていくことも事業として我々の組織では行っています。なので、プラットフォーマーの方と折衝させていただく機会も、広告主とお話しする機会と同じくらい多いです。インターネット広告自体もダイレクトレスポンス型で出てきたというのもあって、この先プラットフォームをどういう風に進化していけば、ブランド広告主に対して最適なソリューションを提供できるのかというのは、まだ手探りな状態なので、そういうところをメディアと一緒に作っていくということをやっています。

 

今後の目標

DSC03413

「次世代ブランド戦略室」の目標でいうと、インターネット広告において広告主様がブランディング目的で使われる代理店としてナンバーワンになっていきたいという思いはあります。さらにはその広告商品や広告のメソッド開発においては、従来の代理店がやっていたような売買の枠や、広告運用だけを行うというようなモデルではなく、提案活動や運用、もっというと広告主様にカスタマイズした広告商品やメニューの開発も行なっていく。そして、インターネット広告のブランディングにおけるやり方ってこういう風だという1つのモデルを戦略室では作って行きたいです。